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ゲゲゲの鬼太郎と妖怪にふれあう旅①「妖怪とは?」
今、私たちが注目しているのが日本の『妖怪』です。鳥取県境港市は、ゲゲゲの鬼太郎の作者である水木しげるさんが生まれ育った場所であり、妖怪の聖地として知られています。その妖怪の聖地に取材に行ってきたいので、聖地で感じたことを記事にしたいと思います。 妖怪とは? 皆さんは妖怪という言葉から何を想像しますか?妖怪と言えば人間と違う異様な姿で、不思議な力をもっており、その力で災いをもたらすと考えられている方も多いのではないでしょうか。妖怪とは、日本の伝統的な民間信仰に基づく怪異や不思議な存在を指します。妖怪は、人間の理解を超えた存在であり、古くから日本人の生活や心の中に深く根付いてきました。これらの存在は、自然現象や社会現象を説明するための象徴として、または恐怖や畏怖を感じさせるものとして描かれてきました。妖怪には、鬼や天狗、河童、雪女など、さまざまな姿や性質を持つ者がいます。参照:画本西遊記百鬼夜行ノ図、江戸末期 妖怪と幽霊の違いとは? 皆さん、妖怪と幽霊の違いについて説明できますか?柳田國男さんが民族学の立場から妖怪の研究に取り組み、その成果を妖怪談義という本に纏められている中に妖怪と幽霊の特徴について纏められています。 妖怪は出る場所が決まっているが、幽霊は様々な地域にでる。 妖怪は相手をえらばないが、幽霊は相手をえらぶ。 妖怪は夕方にあらわれるが、幽霊は丑三つ時にあらわれる。 このような定義の違いを知っているだけでも妖怪が身近なものに感じられますね。 和縁が妖怪を扱う理由 和文化の良さを少しでも海外に向けて広げたいと思っても、品質のよさだけで選んでいただけるほど甘くない現実があります。そのハードルを乗り越えるための一つの答えが「妖怪」でした。和文化ならではの歴史的な発展を遂げており、海外の人からもクールであると讃えられています。このカテゴリーに絞って特化することで、その分野での認知を獲得し、存在感を高めて日本文化を牽引するポジションを築きたいと考えています。 日本の妖怪は、その独特な文化と魅力から、世界中で多くの人々に受け入れられています。特に宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」は、妖怪や神々の世界を描いた作品として有名です。「妖怪ウォッチ」シリーズは、北米やヨーロッパでもアニメやゲームを通じて、親しんでいます。さらに水木しげるさんの「妖怪学入門」などの書籍は翻訳されて海外でも読まれています。日本の妖怪たちは、映画やアニメ、マンガ、ゲーム、学術研究、観光など、さまざまな形で海外に紹介され、広がりを見せています。 今回の記事は、妖怪という存在についてとなぜ和縁が妖怪に注目しているのかについて書きました。次の記事から聖地である鳥取県境港市にかかわる内容を書いていきます。【執筆者:K.A】
伝統工芸の織物(織り方の種類)
伝統工芸の織物(織り方の種類) 日本伝統工芸の織物の多くは、自然からとれる材料を使い、手作業で仕上げます。織物は、日本の風土や生活に深く根ざし、長い歴史の中で様々な技法や素材が発展してきました。織物は、衣服だけでなく、生活用品や装飾品としても用いられ、日本の美意識を体現しています。日本の織物には、たて糸とよこ糸の組み合わせによって大きく平織、綾織、朱子織の3種類に分けることが出来ます。 平織 最も基本的な織り方で、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交互に織り交ぜることで生地を作り出します。この織り方は、シンプルでありながら丈夫で、用途が広いのが特徴です。平織は、日常的に使われる布地や浴衣などに広く用いられています。 綾織 経糸と緯糸を交差させる位置をずらして織ることで、斜めの線(綾目)を生み出す織り方です。この技法により、平織よりも柔軟性があり、光沢感のある生地が作られます。綾織は、特に和装の帯や着物、装飾品に使われ、独特の風合いを持つ布地が特徴です。 朱子織 糸または緯糸が多く表面に出るように織られることで、滑らかな質感と光沢が強調される織り方です。この技法は、非常に密度が高く、シルクのような滑らかな表面を持つ生地を作り出します。朱子織は、特に豪華な和装や祭礼用の衣装に用いられることが多く、エレガントで上品な印象を与えます。 日本の伝統工芸の織物は、長い歴史の中で培われた技術と美意識の結晶です。平織、綾織、朱子織といった織り方の多様性、そして絹糸、綿糸、麻糸、木の皮糸といった様々な素材の使用によって、豊かな文化が生み出されてきました。これらの伝統的な技法と素材は、現代においてもその価値を失うことなく、多くの人々に愛され続けています。【執筆者 K・A】
博多織
博多織 博多織の歴史 博多織は、福岡県博多地域を中心に作られている日本の伝統的な織物です。その歴史は古く、鎌倉時代にさかのぼるとされています。博多織の起源は、1275年に博多の商人、満田弥三右衛門が宋(現在の中国)から織物技術を持ち帰り、それを基に発展したと言われています。その後、博多織は長い年月をかけて技術が磨かれ、江戸時代には幕府に献上されるなど、高い評価を得るようになりました。明治時代となり、近代化を迎え、和装需要は大幅に減少しましたが、同時にジャカード機の導入により技術革新が起こり、商品の多様化も進みます。博多織は1976年に国の伝統的工芸品に指定されました。 博多織の種類 博多織には、いくつかの種類があります。以下は代表的なものです。 博多帯(はかたおび)博多織の中でも最も代表的な製品が博多帯です。帯は、和装において非常に重要な役割を果たします。博多帯は、しっかりとした織りで知られ、結びやすく緩みにくい特徴があります。特に「献上柄」が施された帯は、格式の高い場での着用に適しています。 博多織の小物博多織の技術は、帯だけでなく、財布やバッグ、名刺入れなどの小物にも応用されています。これらの小物は、博多織特有の美しい模様と質感を持ち、伝統工芸品としての価値を持ちながらも、現代の生活に取り入れやすいアイテムとして人気があります。 その他の博多織製品近年では、博多織の技術を活かしたスカーフやネクタイ、インテリア用品なども製造されており、日常生活の中で博多織の美しさを楽しむことができるようになっています。